新しいことを始めるのには、大きなエネルギーが必要です。でも実は、始めたことを「やめる」決断には、それ以上の勇気がいるのかもしれません。 2026年の春、日本のビジネスシーンでは、二つの大きな「方向転換」が話題になりました。一つは、ホンダによるEV(電気自動車)戦略の抜本的な見直し。もう一つは、フードデリバリーサービス「Wolt」の日本市場からの撤退です。どちらも、企業が全力で取り組んできた事業を大きく変える、あるいは手放すという重い決断でした。 今回は、この二つの事例を通じて、「事業の転換や撤退」について一緒に考えてみたいと思います。
ホンダの決断 ― 2.5兆円の損失を受け入れたEV戦略の転換
2026年3月12日、ホンダは衝撃的な発表を行いました。次世代EVブランドとして大きな期待を集めていた「Honda 0シリーズ」のうち、「Saloon」「SUV」、そしてアキュラブランドの「RSX」の3車種について、開発・発売の中止を決定したのです。
これに伴う損失は最大2.5兆円にのぼり、2026年3月期の最終損益は最大6,900億円の赤字と、上場以来初の赤字に転落する見通しとなりました。三部敏宏社長は「断腸の思い」と語り、役員報酬の一部返上も発表しています。
では、なぜホンダはこれほど大きな方向転換に踏み切ったのでしょうか。
背景にあるのは、世界的なEV市場の変化です。米国ではトランプ政権のもとでカリフォルニア州の環境規制「ACCⅡ」が事実上撤回され、EV普及を後押ししていた政策の前提が大きく崩れました。加えて、中国メーカーとの激しい価格競争や、世界的にEV需要の伸びが鈍化している現実もありました。
ホンダは今後、ハイブリッド車(HV)を軸にした戦略へと舵を切り直す方針です。「全方位戦略」で知られるトヨタとは異なり、EVに大きく舵を切っていたホンダにとって、この転換は経営の根幹に関わる決断でした。
Woltの撤退 ― フードデリバリー戦国時代の終焉
もう一つの事例が、フードデリバリーサービス「Wolt」の日本撤退です。2026年2月25日に発表され、3月4日をもってサービスが終了しました。
Woltはフィンランド発のサービスで、丁寧な配達員教育や高品質なサポート体制に定評がありました。2022年にはDoorDashに買収され、グローバル展開の一翼を担っていました。
しかし、日本のフードデリバリー市場はUber Eatsが約57%、出前館が約36%という圧倒的な2強体制が確立しており、Woltを含むその他のサービスはわずかなシェアを奪い合う厳しい状況でした。さらに、配達員の確保コストの増大や、後発サービスとの価格競争も重なりました。
親会社DoorDashの判断もありました。DoorDashは日本だけでなく、シンガポール、カタール、ウズベキスタンからも同時に撤退を決め、より収益性の高い市場にリソースを集中させるグローバル戦略へと転換したのです。
振り返って見えること ― 早期に気づけたシグナルはあったか
この二つの事例を振り返ると、いくつかの共通するシグナルが見えてきます。
ホンダのケースでは、EV市場の成長鈍化は2024年頃からすでに指摘されていました。中国メーカーの台頭による価格競争の激化、各国の補助金政策の見直し、充電インフラの整備の遅れなど、前提条件の変化を示すシグナルは複数ありました。しかし、大規模な先行投資をすでに行っている中で方向転換を決断するのは、容易なことではありません。いわゆる「サンクコスト」の呪縛は、企業規模が大きくなるほど強くなります。
Woltのケースでも、日本市場における2強体制の固定化は早い段階から明らかでした。高品質なサービスという差別化要因は、必ずしも市場シェアの拡大にはつながらず、「良いサービス」と「勝てるビジネスモデル」は別物であるという厳しい現実が浮き彫りになりました。
では、別の選択肢はあったのでしょうか。ホンダであれば、もう少し早い段階でハイブリッドとEVの「二本立て」戦略に切り替えていれば、損失の規模を抑えられた可能性があります。Woltであれば、特定の地域やニッチなセグメントに特化する「選択と集中」の道もあったかもしれません。
ただ、これらはあくまで後知恵です。当事者たちがその時々の情報と状況の中で最善を尽くしていたことは、忘れてはならないと思います。
「撤退」を学びに変えるために
日本では特に、「撤退」という言葉にはネガティブな響きがつきまとうように感じます。「失敗した」「逃げた」という烙印を押されかねない空気が、時に合理的な判断を遅らせてしまうこともあります。
しかし、ホンダの三部社長が「断腸の思い」と語りながらも決断に踏み切ったように、撤退とは本来、「次の挑戦に向けてリソースを解放する」という前向きな戦略判断です。DoorDashもまた、撤退した市場のリソースをより勝算の高い市場に振り向けることで、グローバルでの競争力を高めようとしています。
今回の二つの事例から得られる教訓を、三つにまとめてみます。
一つ目は、「前提条件の変化」に敏感であること。 事業を始めたときの前提が今も有効かどうかを、定期的に問い直す仕組みが大切です。ホンダのケースでは、規制環境の変化という外部要因が大きな転換点になりました。
二つ目は、「撤退基準」をあらかじめ設定しておくこと。 「どうなったらやめるか」を事前に決めておくことで、感情に流されない判断が可能になります。多くの企業が採用しているのは「2年以内に黒字化しなければ撤退」という基準ですが、より本質的には「当初の戦略を支える信念と矛盾する情報を手にしたとき」が判断のタイミングなのかもしれません。
三つ目は、「撤退」を組織の学びに変えること。 撤退した事業から得られた技術、ノウハウ、人材のネットワークは、次の挑戦の糧になります。ホンダがEV開発で培った電動化技術は、今後のハイブリッド車の進化にも生かされるはずです。
おわりに ― 次の一歩のために
事業の撤退やピボットは、終わりではなく、新しい始まりの一歩です。大切なのは、その経験から何を学び、次にどうつなげるかということ。
今日ご紹介したホンダもDoorDash(Wolt)も、この決断を経て、新たな方向へと歩み出しています。私たちも、企業の「やめる勇気」を温かく見守りながら、そこから得られる教訓を自分たちの仕事や組織に生かしていきたいものです。
変化の激しい時代だからこそ、「続ける力」と同じくらい、「方向を変える力」が求められています。その判断を下せる組織こそが、長い目で見たときに、本当に強い組織なのではないでしょうか。
Q. ホンダがEV戦略を転換した主な理由は何ですか?+
ホンダがEV戦略を転換した主な理由は、世界的なEV市場の変化にあります。具体的には、米国でのEV普及を後押ししていた環境規制の撤回、中国メーカーとの激しい価格競争、そして世界的なEV需要の伸び悩みなどが挙げられます。これらの状況を受け、ホンダはハイブリッド車(HV)を軸とした戦略へと舵を切る決断をしました。
Q. ホンダのEV戦略転換による損失はどのくらいですか?+
ホンダのEV戦略転換に伴う損失は最大2.5兆円にのぼるとされています。これにより、2026年3月期の最終損益は最大6,900億円の赤字となり、上場以来初の赤字に転落する見通しです。
Q. Woltが日本市場から撤退した背景には何がありますか?+
Woltが日本市場から撤退した背景には、日本のフードデリバリー市場におけるUber Eatsと出前館による圧倒的な2強体制があります。Woltはわずかなシェアしか獲得できず、さらに配達員の確保コスト増大や後発サービスとの価格競争が激化していました。親会社であるDoorDashが収益性の高い市場にリソースを集中させるグローバル戦略の一環として、日本を含む複数の国からの撤退を決定しました。
Q. ホンダのEV戦略転換とWoltの日本撤退から学べる「事業の転換や撤退」の教訓は何ですか?+
これらの事例から学べる教訓は、市場環境の変化に迅速に適応することの重要性です。企業は一度始めた事業でも、市場のニーズ、競合状況、収益性などの見通しが厳しくなった場合、損失を覚悟してでも事業の方向転換や撤退を決断する勇気が必要であるということです。これにより、限られた経営資源をより成長性の高い分野に再配分し、企業全体の持続的な成長を目指すことができます。
Q. ホンダのEV戦略転換は、今後の自動車業界にどのような影響を与える可能性がありますか?+
ホンダのEV戦略転換は、EV一辺倒ではなく、ハイブリッド車(HV)の重要性が再認識されるきっかけとなる可能性があります。特に、EV普及の前提が崩れつつある市場において、HVが現実的な選択肢として改めて注目され、他の自動車メーカーの戦略にも影響を与えるかもしれません。これにより、自動車業界全体の電動化戦略がより多様化する可能性が考えられます。
Q. Woltの撤退は、日本のフードデリバリー市場にどのような影響を与えますか?+
Woltの撤退により、日本のフードデリバリー市場はUber Eatsと出前館の2強体制がさらに強固になることが予想されます。これにより、競争環境が緩和される一方で、消費者にとっては選択肢が減る可能性があります。また、配達員にとってはWolt以外のプラットフォームへの移行を余儀なくされることになります。
※ 投資・法務・税務の具体的な判断については、必ず専門家にご相談ください。 株式会社BELLETは、本コンテンツの利用によって生じたいかなる損害についても責任を負いません。
EXIT戦略について相談する
M&A・事業売却・事業承継に関するご相談・ご質問はお気軽にどうぞ。
