ホンダのEV戦略見直しを題材に、需要や政策、競争環境が変化する中で、計画を修正しながら競争力を守る方向転換の条件を整理します。
ここ最近、日本企業を巡って「撤退」や「ピボット」というキーワードを耳にする機会が、ぐっと増えてきました。新しいことに挑むのは難しい。けれど、挑んだものをいったん引き返すのも、それと同じくらい難しいものです。今回のコラムでは、2026年に入って大きく報じられたいくつかの事例を手がかりに、企業が事業の舵を切り直すとき何を考えているのか、そしてどんな学びを残してきたのかを、ゆっくり振り返ってみたいと思います。
1. 直近の事例を、まずは並べてみる
最初に取り上げたいのは、ホンダの四輪電動化戦略の見直しです。2026年3月、ホンダは北米向けに開発していたEV「ホンダ0 SUV」「ホンダ0サルーン」、そしてアキュラ「RSX」の3車種について、開発・発売の中止を発表しました。あわせて2026年3月期の業績予想は黒字から赤字へと修正され、累計で最大2兆5千億円規模の損失が出る可能性まで示唆されています。三部敏宏社長は記者会見で、「複数シナリオを持って、戦略を修正しきれなかったことが反省すべき課題だ」と振り返りました。長く脱炭素の旗手として走ってきた企業の、率直なひと言でした。関連して、ソニーとの共同会社・ソニーホンダモビリティもプレミアムEV「AFEELA」を巡る計画を縮小しており、「未来の理想」と「現在の市場」のあいだに横たわる落差の大きさを、いまの自動車業界全体が体感しているところです。
次に、流通の世界で大きなニュースとなったのが、セブン&アイ・ホールディングスによるヨーク・ホールディングスの譲渡です。イトーヨーカ堂やデニーズ、ロフト、赤ちゃん本舗など29社を束ねた中間持株会社を、2025年9月、米国の投資ファンド・ベインキャピタルへ8,147億円で売却しました。コンビニ事業に経営資源を集中させるための判断で、同社は祖業の流れを汲むGMS(総合スーパー)と、ある意味で「お別れ」を選んだことになります。一方で、セブン&アイや創業家もあわせて40%を再出資しており、完全に縁を切るというよりは「より伸びやすい場所へ託す」という色合いが強い案件でした。
さらに視野を広げると、三菱電機は売上高にして約8千億円分の事業について、撤退も含めた再検討を2025年度中に下す方針を示しました。EVの伸び悩みを受けて、パワー半導体への投資計画にも一部見直しが入り、代わりにデータセンター向け光デバイスへ資金を振り向ける構図が描かれています。サッポロホールディングスや三菱ケミカルグループも、不動産や医薬子会社の譲渡を通じてポートフォリオの組み替えを進めており、「選択と集中」というキーワードが、いま改めて多くの会議室で口にされています。
2. なぜ、いま「見直し」が相次ぐのか
これらの事例を並べてみると、共通する糸が見えてきます。それは、外部環境が当初の前提を裏切った、ということです。ホンダのケースでは、米国のEV普及スピードが想定より緩やかだったこと、関税政策の変化、そして消費者がハイブリッド車に再び目を向け始めたことが大きな要因でした。セブン&アイは、ネット通販の台頭やライフスタイルの変化により、GMS業態の収益性回復に時間がかかると判断したのでしょう。三菱電機は、車載やFAといった主力市場が踊り場に入る一方で、AI関連の光デバイスに新しい山が見え始めたことが背中を押しています。
つまり、誰かが大きな失敗をしたという話ではなく、市場の地図が想像以上の速さで書き換わっていた、というのが正直なところです。それでも企業は決算という形で結果を背負わなければならないので、痛みのある判断であってもいずれは下さなくてはいけません。
3. もう少し早く気づけたサインはあったか
「あのとき、別の道はなかったのか」と問うのは、当事者にとっては少し酷な作業です。それでも、外から振り返ってみると、いくつかの示唆を拾うことができます。
ひとつは、想定シナリオを一本に絞り込まないということ。ホンダの三部社長が語った「複数シナリオが足りなかった」という反省は、まさにこの点を示しています。EV一本に賭ける筋書きと、HV併走の筋書き、両方の準備を進めていれば、損失計上も少しは穏やかになっていたかもしれません。
もうひとつは、コア事業との「距離」を測り続けるということ。セブン&アイの場合、コンビニ事業とGMS事業の利益率の差は以前から顕在化していました。差が広がり続けているのに同じ屋根の下で抱え込む状態は、経営資源の観点で見れば緩やかな出血に近いものです。早めに切り出して、別の所有者のもとで再成長を狙うという選択肢は、本来もう少し早く検討されてもよかったのかもしれません。
そして三つめに、社内に「撤退を恥としない文化」をどれだけ育てておけたか、という問いがあります。撤退の判断が遅れる背景には、責任の所在を明確にしたくないという心理がしばしば隠れています。撤退基準を経営の言葉として最初から共有しておくこと、そしてその判断をした人を責めるのではなく称えること。それ自体が、組織にとっての大きなセーフティネットになるのだと思います。
4. これからのために、持ち帰りたい教訓
撤退やピボットは、ともすれば「失敗」と同じ箱に入れられがちです。けれど、本当はそうではないと、最近の事例は静かに教えてくれます。ヨーク・ホールディングスはベインキャピタル傘下でIPOを目指して走り始めましたし、ホンダは積み上げてきたHV技術を磨き直す方向へ舵を切りました。撤退の先には、新しい挑戦の入口がきちんと用意されているのです。
サイバーエージェントの「1年で見極める」、ユニクロの「3年で見極める」のように、あらかじめ撤退の物差しを公にしておくことも、組織として大切な作法でしょう。物差しがあるから、安心して挑める。物差しがあるから、引き際を恥じずに語ることができる。これは大企業に限った話ではなく、スタートアップや中小企業にも、そっくりそのまま当てはまる発想です。事業承継の現場でも、後継者が引き継ぐべき事業と、外部に託したほうが伸びる事業を切り分ける作業がいま静かに進んでいます。
新規事業の旅は、地図のない散歩のようなものだとよく言われます。歩き始めてから道が消えていることに気づくのは、ごく自然なことです。大切なのは、立ち止まったときに「ここまで来られたから、次が少し見える」と言えるかどうか。今回の各社の判断は、決して華やかな物語ではありませんが、次の挑戦への助走として、静かに記憶しておきたい出来事だと感じます。撤退は、終わりではなく、別の地図を広げ直すための一拍。そんなふうに捉え直す視点が、これからの日本のビジネスにじわじわと根づいていくのではないかと、私は密かに期待しています。そして、その一拍の長さや深さこそが、その企業の次の挑戦の質を、静かに決めていくのだろうと思います。
※ 投資・法務・税務の具体的な判断については、必ず専門家にご相談ください。 株式会社BELLETは、本コンテンツの利用によって生じたいかなる損害についても責任を負いません。
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