コロナ禍の2020年、「メタバース」という言葉が世界中で注目を集めました。リモートワークが急速に広がる中、人々は新しいかたちのコミュニケーションを求め、企業もその波に乗ろうとしました。NTT子会社のNTT QONOQが2020年11月に立ち上げた仮想空間プラットフォーム「DOOR」もそのひとつです。ブラウザひとつ…
最近の事例:仮想空間から撤退した企業たち
コロナ禍の2020年、「メタバース」という言葉が世界中で注目を集めました。リモートワークが急速に広がる中、人々は新しいかたちのコミュニケーションを求め、企業もその波に乗ろうとしました。NTT子会社のNTT QONOQが2020年11月に立ち上げた仮想空間プラットフォーム「DOOR」もそのひとつです。ブラウザひとつで入れるシンプルさが評判を呼び、美術館のバーチャル展示や自治体のオンラインイベント、大学の授業など、幅広い用途に使われてきました。累計アクセス数は1,060万回を超え、ユーザー数は286万人以上。決して小さくない足跡を残してきたDOORですが、2025年3月31日、約4年半の歴史に静かに幕を下ろしました。
同じく2025年2月には、ANAグループのANA NEOが展開してきたVR旅行体験サービス「Gran Whale(グランホエール)」もサービスを終了しています。自宅にいながら世界の観光地を仮想体験できるというコンセプトは、コロナ禍で旅を楽しめない人々への贈り物のようなものでした。しかし、サービス開始からわずか1年半余りでの撤退となりました。
これらの事例は、2024年から2025年にかけて国内外で相次いだメタバース関連事業の縮小・撤退の流れの一部です。夢があり、技術があり、大きな会社の後ろ盾もあった。それでも、事業として続けることができなかった。その理由を丁寧に考えることは、新規事業に携わるすべての人にとって、大切な学びになると思います。
なぜ撤退という判断に至ったのか
撤退の背景には、いくつかの構造的な問題があります。
まず、コロナ特需という「追い風」が終わったことです。2020〜2022年にかけて、メタバースやVR空間への期待は空前の高まりを見せていました。世界最大のSNS企業であるMetaが社名を「Facebook」から変えてまで投資し、日本でも大企業がこぞってメタバース事業を立ち上げました。しかし、コロナ禍が落ち着いてリアルでの交流が戻ってくると、「仮想空間で会う」という行動の必然性が急速に薄れていきました。
次に、ユーザーの継続利用が育たなかったという問題があります。最初に試してみる人は多くても、習慣として使い続ける人は少ない。仮想空間で「あえてここに集まる」ためには、それを正当化するだけの体験の価値が必要です。SNSが広く普及したのは「リアルの友達とつながれる」という明確なニーズがあったからです。しかしメタバースの場合、「ここでなければならない理由」を多くのサービスが提供しきれませんでした。
そして、ビジネスモデルの難しさも見逃せません。メタバースプラットフォームはインフラ的な性格を持ちます。利用者が増えても、それが直接収益に結びつく構造を作ることは簡単ではありません。DOORもGran Whaleも、「使ってもらう」ことはできても、「お金を生む仕組み」を確立する前に資源が尽きてしまいました。NTTやANAという大企業が親会社であっても、事業単体での収益化が見通せなければ、グループ全体の資源配分という観点から撤退の判断が下される。これは規模の大小を問わない、新規事業の宿命ともいえます。
どうすればよかったのか
結果論で語ることの限界はありつつも、振り返れば「早期のシグナル」はいくつかあったかもしれません。
2023年以降、世界的にメタバースへの投資が冷却し始めていました。Metaがホライズンワールドズの開発費を削減し、大手テック企業が関連部門のレイオフを進めた時期です。市場全体の「温度感」が変わっていく中で、自社のサービスがどう位置づけられるかを早期に見直す機会はあったかもしれません。
選択肢のひとつとして「ターゲットの絞り込み」があります。DOORの場合、教育分野や特定の業界(イベント業界や不動産など)に深く特化し、有料契約モデルを強化する方向性も考えられました。すべての人に使ってもらおうとするより、特定のニーズに応える「専門家ツール」として磨いていくアプローチです。ユーザー数より顧客単価を高める方向にシフトする判断が、もう少し早くできていたら——そんな「if」を考えさせられます。
また、より早い段階での「事業承継・譲渡」の検討も選択肢にあったでしょう。DOORは最終的にリプロネクスト社に事業承継され、「Roomiq(ルーミック)」として2025年7月から再開予定とのことです。撤退そのものが避けられなかったとしても、タイミングや方法を変えることで、ユーザーへの影響を最小限にすることはできたかもしれません。
もちろん、会社の内部事情や資金状況によって選択できる手段は限られます。「もっとこうすればよかった」という外からの声は、当事者には酷なこともある。それでもこうした問いを立てることで、次の挑戦に活かせる洞察が生まれてくると思います。
今後の教訓と、次の挑戦へ
事業から撤退することは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、冷静な現状分析と、勇気ある意思決定の結果です。
歴史を振り返れば、ピボット(事業転換)によって蘇った企業は少なくありません。ミクシィはかつて日本最大のSNSでしたが、スマホゲーム「モンスターストライク」への転換で新たな成長を遂げました。富士フイルムはデジタルカメラの普及でフィルム事業の先行きが見えなくなった際、医薬品・化粧品という全く異なる領域に活路を見出しました。海外ではSlackがゲーム会社の社内コミュニケーションツールから生まれ、YouTubeがデート動画サービスのピボットから誕生したことはよく知られています。いずれに共通するのは、「現事業で培った資産」を次に持ち込んでいることです。
ユーザーとの関係、技術、データ、ブランド——これらは事業を閉じても消えません。DOORが残した技術ノウハウや仮想空間での体験設計の知見は、NTTグループの次のデジタル戦略に活かされるはずです。Gran Whaleで積み上げたVRコンテンツ制作の経験は、ANAの旅行ビジネスのデジタル化に貢献できるでしょう。
大切なのは、撤退の決断と同時に「学びの棚卸し」を丁寧に行うことです。何がうまくいったか、どんなユーザーが使い続けてくれたか、競合との差はどこにあったか——これらを組織の記憶として残すことが、次の挑戦を成功に近づけます。
そして最後に、「撤退は経営の敗北ではなく、戦略的な資源の再配分である」という考え方を、組織文化として根付かせること。それが、失敗を恐れずに新しいことに挑み続けるための、一番大切な土台になると思います。
新しいことに挑戦する会社が多い社会は、活気があります。その挑戦が思うようにいかなかったとしても、学びとして次につなげていける文化があれば、また新たな芽が育ちます。DOORもGran Whaleも、今は幕を閉じましたが、それぞれが残した種はきっと、どこかで花を咲かせるでしょう。
※ 投資・法務・税務の具体的な判断については、必ず専門家にご相談ください。 株式会社BELLETは、本コンテンツの利用によって生じたいかなる損害についても責任を負いません。
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