新しい事業を始めることには、どこかワクワクする響きがあります。でも、その事業を「やめる」と決めることには、始めるとき以上のエネルギーが必要です。今回は、2025年に大きな話題となった丸住製紙の事例を中心に、事業撤退やピボットの難しさと、そこから得られる学びについて考えてみたいと思います。
丸住製紙に何が起きたのか
丸住製紙は、1919年に設立された愛媛県の老舗製紙会社です。新聞用紙で国内シェア4位を誇り、大手商社・丸紅のグループ会社としても知られていました。100年を超える歴史を持つ「名門」と呼ばれた企業です。
しかし、紙の需要は年々縮小を続けていました。日本の新聞発行部数は2000年の約5,370万部から半分以下にまで落ち込み、書籍や雑誌、コピー用紙の需要も激減。丸住製紙の主力事業そのものが、構造的な逆風にさらされていたのです。
同社もこの危機に手をこまねいていたわけではありません。2019年以降、ペーパータオルやウエットティッシュといった衛生用品、さらにはコスメ分野への新規進出など、新たな商材への展開を積極的に進めていました。2023年11月には、コンサルティング大手の経営共創基盤(IGPI)とともに「117億円の赤字を3年で黒字転換させる」という野心的な事業再生計画も策定しています。
それでも、状況は好転しませんでした。2025年2月、丸住製紙は主力の洋紙事業からの撤退を取引先に通知。従業員500人のうち約100人が希望退職に応じ、わずか10日余りで民事再生法の適用を申請するに至りました。約590億円の負債を抱えての決断でした。
なぜ、転換はうまくいかなかったのか
この事例を振り返ると、いくつかの要因が浮かび上がってきます。
まず、市場の構造変化のスピードです。紙メディアの衰退は誰もが認識していましたが、そのペースは予想を上回るものでした。新聞用紙という安定した「本業」が急速に縮小する中で、新規事業の成長が追いつかなかったのです。
次に、組織の慣性の問題があります。報道によれば、同社には縦割り組織の弊害があり、創業家経営のもとで大胆な構造改革が進みにくい体質がありました。新しい分野に進出しても、意思決定や実行のスピードが市場変化に追いつけなかったと言えます。
そして、ピボットのタイミングです。衛生用品やコスメへの展開は方向性としては理にかなっていましたが、本業が大きな赤字を出し続ける中での新規投資には限界がありました。もう少し早い段階で、より大胆な事業転換に踏み切れていたら――。そんな「もしも」を考えずにはいられません。
早く気づけたシグナルはあったか
振り返ってみれば、いくつかのシグナルは確かにありました。新聞発行部数の減少トレンドは2000年代から明確でしたし、デジタル化の波は製紙業界全体に影響を与えていました。
ただ、ここで大切なのは、「後知恵」で批判することではありません。渦中にいる経営者にとって、100年続いた本業を捨てるという判断は、想像を絶するほど重いものです。従業員の雇用、取引先との関係、地域経済への影響――背負うものが大きいほど、撤退の決断は難しくなります。
一つ参考になるのは、ソニーがVAIO(PC事業)を2014年に売却した事例です。当時、PC事業は917億円もの営業赤字を出していました。ソニーは「苦渋の決断」としてVAIO事業を日本産業パートナーズに譲渡しましたが、独立後のVAIOは240人体制で再出発し、営業利益率10%という高水準まで回復しました。
この事例が教えてくれるのは、「撤退」は終わりではなく「再配置」になりうるということ。売却や分離によって、事業そのものが新たな環境で花開く可能性もあるのです。
これからの道筋と教訓
2025年は、日本企業にとって「撤退」や「事業再編」がかつてなく身近になった年でした。休廃業・解散件数は過去最多の6万7,000件超を記録し、中国からの事業撤退も加速しています。キヤノンが広東省の工場を閉鎖し、日本製鉄が中国の合弁事業を解消するなど、グローバルな事業ポートフォリオの見直しも進んでいます。
こうした動きの中で、私たちが心に留めておきたいことがあります。
撤退は「失敗」ではなく「戦略的判断」であるということ。限りある経営資源を、より可能性のある領域に振り向ける。それは前向きな決断です。むしろ、撤退の判断ができないまま資源を消耗し続けることのほうが、長い目で見れば大きなリスクになります。
そして、撤退基準を「始める前」に決めておくことの大切さ。「2年以内に黒字化しなければ見直す」「ピボットは3回まで」といった明確な基準を事前に設けておくことで、サンクコスト(埋没費用)に引きずられない冷静な判断が可能になります。
丸住製紙の物語は、決して他人事ではありません。どんな企業にも、市場環境の変化によって「やめる」判断を迫られる日が来るかもしれない。そのとき、撤退を恥とするのではなく、次の挑戦への第一歩として捉えられるかどうか。それが、企業の真の強さを決めるのではないでしょうか。
*本コラムは2026年5月4日時点の公開情報をもとに執筆しています。*
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